こんにちは!銀猿です。
先日最終回をむかえたリーマンスロッター編。
一年間の成績をまとめました。
どの機種で勝ち、どの機種で負けていたのか?
興味のある方は、ご覧下さい。
主要結果
実践日数 | 246日 |
---|---|
勝ち | 129勝 |
負け | 115敗 |
±0 | 2分 |
勝率 | 52.4% |
実践店舗数 | 43件 |
実践機種数 | 46機種 |
月間成績 | +880K |
主要数値検証
実践日は246日。
年間365日中ですから、出勤率は67.4%。
勝率は52.4%と5割は超えました。
低交換率の短時間実践が多い事を考えれば、まずまず?
全べて合わせると、43件のお店で、46機種打ちました(機種名鑑の最後がVOL.44なのは、CRナナシーと、デュエルが2とRひとまとめの為)
年間収支は+880K。
返す返すも12月のマイナスが残念。
意味のない「タラ・レバ」ですが、最後も勝てていれば、6桁収支にも届いていました。
機種別成績
続いて機種別成績です。
機種名 | 収支 | 打った回数 |
---|---|---|
ルパン三世 | +411K | 64回 |
アレックス | +167.5K | 34回 |
グランシエル | +149.5K | 25回 |
バーサス | +93.5K | 23回 |
アラベスクR | +78K | 22回 |
アステカ | +73.5K | 53回 |
ワードオブライツ | +58.5K | 20回 |
デュエルドラゴン2 | +43K | 64回 |
花月 | +38K | 26回 |
ドラキュラ7A | +34.5K | 35回 |
カンフーレディ | +27K | 1回 |
ニューパルサー | +26.5K | 12回 |
イーカップ | +21K | 4回 |
櫻 | +13K | 1回 |
B-MAX | +5K | 7回 |
タロットマスターR | +5K | 3回 |
デジスロ | +4K | 2回 |
ドンちゃん2 | +3K | 1回 |
CRナナシー | +2.5K | 4回 |
セブンダラーズ | +2K | 12回 |
サンダーV | -2K | 4回 |
マグニチュード | -2K | 1回 |
タコスロ | -2K | 1回 |
バトルナイト | -3K | 5回 |
エルビス | -3K | 1回 |
迷Q | -3K | 1回 |
スーパープラネット | -3K | 1回 |
デュエルドラゴンR | -3.5K | 16回 |
クランキーコンテスト | -4K | 1回 |
デルソル | -5K | 1回 |
玉緒でポン | -5K | 1回 |
ハイパーラッシュ | -6.5K | 1回 |
リアルボルテージ | -6.5K | 1回 |
シーマスター | -7K | 1回 |
キュロゴス | -7K | 1回 |
NJ-CT | -8K | 1回 |
花火 | -8.5K | 34回 |
007 | -9K | 1回 |
タイムクロス | -9K | 1回 |
マックスボンバー | -10K | 1回 |
ビーナス7 | -14K | 2回 |
バンバン | -20K | 4回 |
コングダム | -20.5K | 2回 |
ホットロッドクイーン | -24K | 4回 |
大江戸桜吹雪 | -57K | 3回 |
大花火 | -133.5K | 55回 |
勝ち頭はルパン三世。
全体のおよそ半分に迫る411Kと、断トツで抜けたプラスを叩き出していました。
打った回数もトップタイと、名実ともに2000年の銀猿の収支を支えてくれた、メイン機種でした。
負け額トップは、大花火。
こちらも断トツの負け額で、2位を大きく離してのワースト1。
打った回数も3番目に多く「たまたま」負けた訳ではない事を考えると「店選び+技術のなさ」のダブルパンチだったのでしょう。
デュエル2・・・勝ってたんやね。
総括
7.6枚交換+短時間勝負が多くを占める実践状況、プラス、まだまだ低いスロットレベルを考えれば、明らかに「出来すぎ」の結果と言えます。
ただ、それだけ「勝ち易かった時代」だったのでしょう。
別記事で「勝ち続ける為に~」シリーズを書いていますが、この結果から言える事が一つあります。
やはり、スロットで勝つか負けるは「お店次第」という事です。
この頃、一部の裏モノを除けば、天井やゾーン狙いといった立ち回りが効きません。
リーマンスロッター編をご覧頂いた方はご存知だと思いますが、この頃の僕はほぼ設定狙いで立ち回っていました(モーニング狙いを除く)
4号機という事で、今と比べれば各機種のスペックは相当甘く作られていますが、7.6枚と5.3枚や5.6枚との差はあまりに大きく、しかも短時間勝負となれば、その差は歴然です。
ですが、年間を通して勝つ事が出来ています。
それは、曲がりなりにも高設定(理論上プラスになる設定)を、打てていた事を示しています(僕が恐ろしく引きが強かった可能性が0とは言いませんが)
それだけ、この時代のホールには「余裕」があったと考えるべきでしょう。
さぁ、2000年の回顧も完了しました。
専業編、近日開始します。