こんちには銀猿です。
リーマンスロッター編が終了し、次回よりパチスロ専業者編をお送りしますが、その前に、僕が何故パチスロ専業者となったのか? について書いておこうと思います。
後、2001年どんな年だったのか? ご覧頂く皆さんの記憶中枢を刺激する為にも、時代背景を確認して頂く為にも、軽く振り返っておこうと思います。
どんな時代?
パチスロ専業者編は、2001年からスタートします。
2001年(平成13年)がどんな時代だったかと言うと・・・
社会全般
・9.11アメリカ同時多発テロ事件
・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
・小泉内閣発足
・国内初の狂牛病発症
・札幌ドーム完成
・ウィキペディア発足
・千と千尋の神隠し上演
・ドラマ「ビューティフルライフ」「やまとなでしこ」放送
ヒット曲
Can You Keep A Secret? | 宇多田ヒカル |
M | 浜崎あゆみ |
PIECES OF A DREAM | CHEMISTRY |
恋愛レボリューション21 | モーニング娘。 |
白い恋人達 | 桑田佳祐 |
ボクの背中には羽根がある | KinKi Kids |
Lifetime Respect | 三木道三 |
アゲハ蝶 | ポルノグラフィティ |
プロ野球優勝球団
セ・リーグ ヤクルトスワローズ
パ・リーグ 近鉄バファローズ
う~ん、懐かしいです!
近鉄が健在だもんね。
野球好きの方には、近鉄の北川選手が「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を打った年」と言えば、ピンときますかね。
パチプロ日記
その昔、パチンコ必勝ガイドという攻略雑誌に「田山幸憲のパチプロ日記」が連載されていました。
読み始めたキッカケは覚えていませんが、当時一冊390円だった必勝ガイドを、その「パチプロ日記」を読む為だけに買う程のファンでした。
途中から、月二回発行になった時も「田山さんの日記が沢山読める!」と喜んだ事を覚えています。
田山氏の書かれる、飾らない、人間味溢れる文章に惹かれ、いつしか「パチプロ」という生き方にまで
憧れを持っていました。
自己紹介にも書きましたが、元来勝負事が好きな性分だった事もあり「いつかは」という気持ちが自分の中に長くあったのかもしれません。
「田山氏への憧れ」
コレが、パチスロ専業者となるキッカケの一つであった事は間違いありません。
会社の危機
リーマンスロッター編本文でも触れていますが、僕は当時パチンコ店で働いていました。
この頃のパチンコ店は、今とは違い、どのお店も「潰れる」という可能性を感じる事は殆どなく、経営に息詰まる場面はそれ程多くありませんでした。
しかし、僕が勤めていた会社では、パチンコ店経営以外に手を出し、不採算部門を作っていました。
しかも、そのタイミングで当時のメインバンクが倒産するという事態に見舞われ「給与の未払い」が発生したのです。
(後に支払って貰いました)
この時「会社が危ない」という思いと、正直「辞める口実が出来た」と思いました。
リーマンスロッター編をご覧頂ければ分かりますが「パチスロは勝てるゲーム」という考えから、一年間自身の収支を管理し、結果として十一ヶ月連続でプラスを刻む事に成功していました。
中身を精査すれば、実力ではなく「時代」で勝っていたのですが「パチスロは勝てる!」という自信を持つには十分な結果でした。
ですので、この給与未払いの事態が発生した時に会社を辞め、パチスロ専業者の道を歩む事を決めました。
マイルール
「会社の経営危機」+「一年間パチスロを打った結果」+「パチプロへの憧れ」
この三点が、僕がパチスロ専業者へと歩を進める動機となった訳ですが、一つだけ、自分自身への約束事=マイルールを決めてスタートしました。
それは 「一度でも月間収支がマイナスになれば即引退」 という事です。
もし一度でも月間でマイナスを刻んだ場合は、即引退し、社会復帰する事を自身と約束し、パチスロ専業者として生活を始める事としました。
以上が簡単ではありますが、僕がパチスロ専業者になった経緯です。
では次回より、パチスロ専業者編をスタートします。