こんばんは銀猿です。
前々回の日記内で、
「いつまでパチスロ専業生活を続けるのかな?」
と、言う気持ちが芽生えてきたと書いた訳だが、引退を考えたのはこの時が初めてではない。
ここに至るまでに、何度かそのような気持ちになった事はある。
だが、この時芽生えた感情は、これまでのものとは異なっていた。
以前、リーマンスロッター編終了後に「僕がパチスロ専業者になった理由」を書いているので、
「僕がパチスロ専業者を辞めようと思った理由」
も、書いておこうと思う。
一つじゃない
僕がパチスロ専業者を辞めようと思ったきっかけは、一つではない。
幾つかの要因が重なっている。
突出して強い理由があった訳ではない。
それぞれが、それなりの大きさで、自身の気持ちを傾かせていった。
情熱の低下
2号機からパチスロを打ち始め、4号機の7ライン機やCT機が出始めた頃から、どっぷりパチスロにハマッた訳だが、5号機が市場に出てきた頃より、
「パチスロが面白くなくなってきた」
と、感じるようになった。
大きな内規の変更の中、各メーカー、知恵を絞って新たな機種は作ってきてくれてはいたが、どれもどうにも「ピンっ!」と、来なかった。
勿論、中には面白いと思える機種もあったが、以前ほど、
「熱くなれなくなった」
事は、間違いなかった。
「パチスロに対する情熱の低下」
これが、引退を考えるきっかけの一つだった。
勝ち辛くなる
2007年のこの時期、パチンコ店はまだまだ使える4号機を大量に入替させられ、多額の遊技台購入資金の捻出を迫られた。
当然そのしわ寄せは、ユーザーであるお客にくる。
その上、5号機の出玉性能は、4号機と比べて大幅に低下する可能性が高い。
そうなれば、売上低下は必至。
ホールは慈善事業ではない。
利益を追求する企業・会社である。
従業員や、その家族の生活を守らなければならない。
当然、今までと比べれば、打ち手への還元はし辛くなる・・・。
当時は、そう予想していた。
正直なところ、この予想は「ハズレ」たと言えるだろう。
僕が思っている以上に、多くのホールは体力を残していた。
しかし結果はどうあれ、
「今後勝ち辛くなると思った」
これが、引退を考えるきっかけの一つだった。
満足
田山さんの文章に惹きつけられ、その人柄に惹かれ、その生き方に憧れた。
自身の働く環境の変化もあり「パチスロ専業者」という道を選択した。
この辺りは「僕がパチスロ専業者になった理由」に書いた通り。
そして「月間収支が一度でもマイナスになったら引退」というマイルールの元、6年半やってきた。
正直、ここまで長く続くとは、自分でも思っていなかった。
自分で望んで飛び込んだ世界。
やりたくてやってきた生き方。
・・・十分堪能した。
この頃、強くそう思うようになっきていた。
人生は一度きり。
自分が「やりたい!」と、唯一思えた事を、勝手気ままにやる事が出来た。
「十分満足した」
これが、引退を考えるきっかけの一つだった。
仕事がしたい
2007年のこの時、僕の年齢は30代中盤。
社会復帰するならば、ラストチャンスのタイミングだったと思う。
勝手気ままに生きてきた訳なので、社会の人々に「認められたい!」なんて気持ちは微塵もなかった。
自分自身を冷静に見てみても、
「箸にも棒にも掛からぬ困った奴」
だと思う。
でもこの時期、自分の中で、
「働きたい」
と、いう気持ちが大きくなってきていた。
今更感満載だし、甘えた事を言っているのは百も承知。
こんな人間を受け入れてくれる職場なんて、あるかどうかも分からない。
それでも、勝手気ままな生活を経て、
「仕事がしたいと強く思った」
これが、引退を考えるきっかけの一つだった。
有終の美
2007年のここまでの収支は、ご覧の通り絶好調。
「最強」だった2004年には及ばないものの、過去2番目の好成績できている。
まだ十分勝てている。
マイルールだって破られていない。
5号機への対応も、何とか出来そう。
だからこそ「良いタイミング」だと思った。
「まだまだ十分ヤレる」
そんな状況だからこそ、引き際には最適だと思った。
専業者の引退理由なんて、人それぞれであり、千差万別。
良いも悪いもある訳じゃない。
何処の誰にも見られていないけれど、カッコつけて辞めたって、それはそれでOKやん。
「今なら有終の美を飾れる」
コレは、タイミングとしてはベストだと思っていた。
以上が、パチスロ専業者を辞めようと思った理由である。