こんばんは!銀猿です。
今回は、昨日の続き。
2002年9月に行われ、僕が人生で唯一参加したオフ会の後編を書かせて頂きたいと思います。
またもや、長くなりそうな予感がするので、早速参ります。
宴
僕にとって、非常に楽しい思い出として印象に残っているMAX BETの集まり。
前編の最後に書いた「最も楽しかった瞬間」は、二日目(9月8日)の夜に行われた飲み会(食事会)の時である。
プロフィールにも書いたが、僕はお酒が殆ど呑めない。
今は、忘年会や送別会など、人が集まる場所に参加した場合、最初の一杯程度は付き合う事にしているが、ほぼ下戸に近い。
生中は飲み干せないし、飲めるお酒は、女の子が好んで飲むような甘いお酒ぐらい。
ましてこの時は、回りがどうあれ「飲めないものは飲めない」スタンスだったので、この宴の時も、僕は一滴もお酒を飲んでいない。
が、この宴は本当に楽しかった。
回りの方達は「お酒も入って上機嫌」って事もあるだろうが、僕は100%完全シラフ状態。
それでも、なお、楽しい時間を過ごす事が出来た。
雰囲気
二日目の宴は、大阪は新世界の中にある「鯛よし百番」というお店で行われたのだが、このお店の雰囲気がもの凄く良かった。
元遊郭だったというお店は、得も言われぬ独特の空気感が漂っており、非日常を日常の中で感じさせてくれる、そんな特別な空間だった。
個人的なイメージで言えば、先日放送されていた「千と千尋の神隠し」の舞台である、湯婆婆が経営する油屋のような感じである。
お酒を呑まない僕でも、一発で気にってしまう、素晴らしいお店だった。
アウェイ感
結果的には、とっても楽しい宴となったのだが、開始直後は、少しだけアウェイ感を感じていた。
この宴は、8日の夜。
その前に、7日の昼の部、7日の夜の部、8日の昼の部と、行程は進んでおり、特に、7日の夜の宴に参加されている方達は、既に一度食事を共にされており、コミュニケーションも取れている状態である。
そんな中、途中参戦の僕。
8日のお昼のレトロスロ打ちに参加はしているが、50名全員でぞろぞろと打ちに行った訳ではない。
それぞれ、好きに行動された方も多くいらっしゃった。
が、夜の宴会には、その時大阪に残っていたMAX BETのメンバーが集結している。
そして、多くの方は、昨日の宴にも参加されている。
・・・ちょっとだけ、アウェイな感じしないっすか?
それに僕はお酒が呑めないので、少し飲んだら「エンジン掛かってきたぜっ!」とかには、ならない訳ですよ。
と、開始直後は、少々びくついていたのだが、この感情は、良い意味で激変する事となる。
みんなスロット大好き
少しだけ臆病な気持ちになっていた僕だが、この集まりは、パチスロが大好きな人達の集まりである。
しかも、北は北海道、南は九州から、この為にわざわざ大阪に駆けつけてくる「生粋のスロ好き」の集まりである。
「パチスロ」
自分が大好きな事を、同じように大好きな人間が集まっているのだから、話しが盛り上がらない訳がないっ!
その上、みんな同じ雑誌を購入しているのだから、共通の話題に事欠く事はない。
「どの機種が好きか」
「あの機種のあの演出が最高だ」
「この時は、ここを狙うのが熱い!」
「過去にコレだけ勝ったorコレだけ負け」
etc
生まれて初めてお会いした方達でも、同じ事、モノを好きなら「コレだけ会話弾むんだっ!」と、痛感した事を覚えている。
まして、普段からパチスロの話しをする友達がそれ程多くはなかった僕。
そんな自分と、同じか、それ以上にマニアな視点や知識を持った方達と過ごす時間は、僕にとって、濃密で、素敵な時間であった。
100%シラフの僕もテンションが上がりに、上がり、烏龍茶が止まらなくなった次第である。
有名人
この宴が大いに盛り上がったのには、もう一つの理由がある。
この宴の会場に、僕たちパニック7の読者にとっては「有名人」として位置づけられる方が、3名いらっしゃったのだ。
一人目は、前編でも書いた、MAX BETの主催者であり、マイダス王の指の作者「すずき寿ひさ」さんである。
後述するお二人は、回りの方が名前を呼ばれているのを聞いて、その存在を認識したのだが、すずきさんだけは違う。
生まれて初めてお会いしたが、0.1秒ですぐに分かった。
何故なら「マンガのままだから」
漫画家さんって凄いよね。
特徴バッチリで、一発でお顔と名前が一致した。
主催者らしく、場を盛り上げようとともして下さり、とても気遣いのある方だった。
二人目は、機種名鑑のアステカのページでも書いている、漫画「ダイオヘッド」の原作者の一人である「大友さん」である。
僕は、当時のパニック7の中で一番好きだった漫画がダイオヘッドだった事もあり、大友さんとお会い出来た時は、それはそれはテンションが上がった事を覚えている。
僕の下らない質問にも答えて下さり、変態的スロッターとしての、そのマニア具合を生で感じる事が出来、非常に満足した事を覚えている。
大友さんとは、その後縁あって、大友さんの地元でお食事するなど、少しお付き合いもあり、僕にとって、大切な思い出の一つである。
三人目は、パニック7のみならず、パチスロ界の超有名人である「名波誠」さんである。
残念ながら「パチスロ一人旅」は、終わってしまったが、この時はバリバリど真ん中絶賛連載中。
初めて拝見した時は「ホンマにいてはるんや」が、僕の第一印象。
別に、その存在を疑っている訳ではなかったが、生で見られるとは思っていなかったので、非常に驚いた事を覚えている。
名波さんの回りには一際多くの方が集まっていた為、あまり(と、言うか殆ど)お話しする事は出来なかったし、宴会前に難波の某店で、多くのギャラリーを背負いながら、大花火でビタ押しを「ビシッ!」と決めたという場面にも立ち会えていない。
それでも、少しはお話しする事は出来たし、拝見する事が出来ただけでも、良い思い出である。
ちなみに今回、このブログに名前をそのまま書かせて頂いて構わないかを、Twitterで伺ったところ、快諾して下り、感謝しています。
と、言うよりも。
ご返答頂けると思っていなかったので、ビックリしました。
名波さん、ありがとうございます。
仲間
多くの楽しい時間を過ごせた宴だったが、僕にとって最大の財産となったのは、この宴で知り合い、その後十数年に渡り、定期的に連絡を取り、食事を共にし、近況報告をする仲間が出来た事だ。
出会ったのが17年前。
この2002年9月8日に初めてお会いしてから、長い間、お付き合い頂いている。
それ程頻繁ではないが、皆で集まり食事をする間柄。
初めのうちは、一緒にスロットを打ったりする事もあったが、徐々に食事だけとなり、会う機会もどんどん無くなっていき、最近ではやや疎遠となっている。
大好きなスロットを通じて出来た仲間。
願わくば、また集まって、昔話に花を咲かせたい。
そんな中でも、お二人だけは、今でもちょくちょく連絡させて頂いている。
一人は奥村さん。
僕とは色々と対照的な方。
スロットも大好きだが、どちらかと言うと「勝ちに拘る」タイプではなく「楽しむ事」を優先されるタイプ。
お話しが面白く、皆で集まった時には、いつも話しの中心になる。
世話好きで、兄貴肌。
行動力があり、パワーを持っている。
そんな奥村さんが、数年前、大病を患われたと聞いた時にはビックリした。
17年はやはり長い。
当時、お子様はいらっしゃらなかったが、今では一男一女に恵まれ、スクスクと育っていらっしゃる。
お身体に気を付けて、これからも元気でやっていって頂きたい。
対照的と言えば、奥村さんは巨人ファンで、僕は阪神ファン。
うん。
今年もしお会いする事があっても、野球の話しはスルーしよう。
もうお一人は清水さん。
こちらは僕と似たタイプ。
スロットも論理的で、理詰めで勝ちを掴めるタイプ。
当時、僕よりスロットに詳しい方は、知り合いにはそれ程いなかったのだが、清水さんは、数少ないそのうちのお一人。
スロットだけではなく、様々な事を勉強されている尊敬できる方。
このブログの立ち上げ、運営にも多大なご協力を頂いた。
清水さんのアドバイスが無ければ、一年三ヶ月間、毎日欠かさず記事をUPする事は出来なかっただろう。
そんな清水さんも、奥村さん同様、数年前に大病を患われた。
奥村さん以上に、命に関わる重い病。
現在は病状が落ち着いていると伺い、少しだけ安心している。
何度も繰り返すが、17年はやはり長い。
清水さんにも、これからも元気にやって頂きたい。
今ならどうだろうか?
2002年9月行われた、MAX BETのオフ会について、二回に渡って書かせて頂いた。
このオフ会で過ごした時間や、知り合った方々は、僕の財産であり、素晴らしい思い出である。
そして、パチスロ専業者なんて事を生業にしていても、人との出会いはあるものだ。
このオフ会以外にも、パチ屋で知り合い、仲良くしてくれる方達は他にもいる。
このブログは、自身の軌跡を記す事を一つの目的としている。
懐かしいスロット台を思い起こす為に読んで下さっている方にとっては、どうでもよい話しかもしれない。
そんはお話しに最後までお付き合い頂き感謝します。
これからも、不定期にではあるが、他で知り合った仲間たちの事も、ちょくちょく書いていけたらなぁ~と、思う。
最後に、今、MAX BETで集合かけたら、どれぐらい集まるのだろうか?
ほんの少しだけ興味が湧く。